平川紀道「GLOBAL BEARING」

『 GLOBAL BEARING 』という作品でNHK「デジスタ」(2004/10/30 OA)にノミネートされてた平川紀道さんという美大生が、自己のblog「rand()%THOUGHT」で、『デジスタの講評に一言 』という論考を寄せている。書き出しにはこう記されている。

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収録中には自分の制作意図を伝える余地が無かったし、
NHK用に脚色されている感が否めないので、ここで意思表示したい。
キューレーターの皆さんから「そこで生活している人の映像が見たい」とか
「指している国の人口が分かるといい」という意見が出ている。
が、自分としてはあえてそれをしなかった理由を主張する機会が欲しいところだ。

"GLOBAL BEARING"で一番重要視したのは、体験者の「想像力」に働きかけることだ。
キュレーターの方々が言うように、人口や何らかの情報を乗せることは簡単であるが、
それでは体験者の「想像力」に働きかけることはできない。

では、なぜ「想像力」なのか。
今の時代、一国の人口など10秒もあればネットで調べられる。
しかし、そこには何の感動もない。
坂本竜馬が思い描いたような「世界」はそこにはない。
現代に欠如しているのは、「想像すること」だ。
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茂木健一郎の『脳と仮想』に言及した後、こう結語する。

"GLOBAL BEARING"を「表現」と言い切るには、ここら辺のバックグラウンドが必要だ。
あの作品が科学博物館でなく、美術館に置かれるべき理由。
それは、何度も言うが「想像すること」を促すからである。
その「想像」は空間にとどまらない。
その「体験」は時間に拘束されない。
デジスタのキュレーター陣が言うように作れば、
それは、押し付けがましい装置になるだけだと思っている。

と言いつつも、そう言われてしまうということは、自分の力量不足。
バージョンアップの作業に戻るとする。