第9集 ベトナムの衝撃

1960/12 南ベトナム解放戦線結成
1962/10 南ベトナム建国 ゴ・ディン・ディエム政権(カトリック)→仏教徒の反乱、抗議の焼身自殺 弟=ゴ・ディン・ニュー夫妻”バーベキュー””反米にも関わらず、アメリカのガソリンで自殺した”
1963/08 アラバマ州バーミンガム 黒人住民闘争開始 デモ6weeks 2500人の逮捕者(多くは10代)※「colored」「white onlyの施設に無言の座り込みをする黒人」※ケネディ演説「except nigro」公民権法案提出 ※"We Shall Over Come"
1963/08/28 ワシントンDC大行進 ※マーティン・ルーサー・キング・Jr."I have a dream"
1963/11 サイゴン・クーデター ゴ・ディン・ディエム、ゴ・ディン・ニュー暗殺
1963/11/22 ダラス・テキサス ケネディ大統領暗殺 ※11/24 ハーベイ・オズワルド暗殺
1964/01/ 年頭教書 リンドン・ジョンソン大統領「貧困を根絶する戦いの開始」「偉大なる社会の建設」
1964/02 ビートルズ(beatles)初訪米
1964/07 NY 黒人暴動/シカゴ 大都市黒人住宅改善運動(キング牧師)キングへの白人による投石で白人に逮捕者 
※スーワリー・カーマイケル”ブラックパワー”(キングの非暴力主義を批判)※ブラックパンサー党(黒人武装自警組織)登場
1964/08/02 トンキン湾事件 ※Navy movie「公海上で通常パトロール中、北ベトナム魚雷による攻撃」「8.4 二度目の攻撃」→後の調査「米国の領海侵犯」「2度目の攻撃の存在への疑問」
1964/08/07 連邦議会 トンキン湾決議可決 在サイゴン米大使館を解放戦線攻撃
1964 秋 ※UCB(UC berkeley)学内の政治活動禁止措置(”大学は言論の検閲をさせざるを得ない”)マリオ・サヴィオ
1965/02/07 プロイク米海軍基地 解放戦線爆破 米兵9人死亡 ●北爆開始
1965/03/08 米海兵隊ダナン上陸 ※この年末までに19万人投入 ※B52爆撃機投入※[米兵の手記]「敵が見えない」「俺達は常に敵の仕掛けた罠にかかっていた」「敵と味方が区別できない。周りはすべて敵だった」※[ジャーナリズム]CBS "North Vietnam"(監督:英国籍)取材結果に畏れをなしたCBSはニュース扱い。のちに別の放送局が49分のドキュメンタリーとして放送=米国民がはじめて目の当たりにした「ベトナムの悲劇の事実」※「徴兵拒否運動」広まる
1967/04 NY 反戦運動 ※黒人参加 キング牧師「われわれの名誉を守ろう」著書「良心のトランペット」
1967/10/21 ワシントンDC 7万人反戦集会 PPM(peter,paul & mary) 国防総省への突入(32時間の軍との攻防戦)→「国際反戦デー」
1967/12/22 ジョンソン大統領、南ベトナム訪問
※テト(旧正月)攻勢 在サイゴン米大使館占拠(解放戦線20名6時間)アメリカの威信の失墜→NBC東京支局発「たった2日で232人の米国人の犠牲者」
1968/02/01 ジョンソン大統領勝利宣言「テト攻勢は失敗」※この夜、テレビ報道は「路上の処刑」を放映。
※フエ攻勢(25日間の占拠)ケサン攻防戦
米大統領選挙 民主党分裂 ロバート・ケネディ出馬
1968/03/31 ジョンソン大統領 北爆の部分的停止 選挙不出馬宣言
1968/04/04 マーティン・ルーサー・キング.Jr牧師暗殺 ※前日の演説映像「わたしは頂上から約束の地を見た。なんの後悔もない」
1968/06/05 ロバート・ケネディ暗殺
1968/07 アポロ11号打ち上げ 07/20 イーグル号、静かな海に着陸。「この一歩は小さいが・・・」※米兵の手記「アメリカ人は遠い戦場を這う数十万の若者よりも、月面に降りたたったふたりのことを心配している。得体の知れないものを感じる」
1968/08 民主党大会(シカゴ)戦争の終結を求める1万人集会 シカゴ警察弾圧
共和党 ニクソン候補選出 「法と秩序の回復」「ベトナムからの名誉ある撤退」を公約→ベトナムからの段階的撤退へ ※1968末 米兵死者3万人 在留米兵54万人
1969/08 米兵撤退第1陣 25000人
1969/08 ウッドストック音楽祭
1969/10/15 ベトナム戦死者追悼大会 全米100万人の静かなる反戦集会
1969/11/03 ニクソン演説「great silent majority」
1970/05 NY ニクソン支持派労働者集会 ※ブルーカラー中心
1970/05 カンボジア侵攻(北ベトナムの補給線攻撃)=インドシナ全域への戦争の拡大 ※デビッド・ハルバースタム「なんのためにベトナムにいるのか?という問い」「われわれの思い描くアメリカの姿と理想はベトナム人には全く逆の別のものと映っていた」
1974/08/09 ニクソン大統領、ウォーターゲート事件で辞任
1975/04/26 解放戦線、サイゴン総攻撃
1975/04/29 在サイゴン米大使館閉鎖
1975/04/30 南ベトナム崩壊

朝日新聞 憲法への取り組み

保岡興治
仙石由人 
・65条の「行政権は内閣に属する」を変える。内閣は政治権力であって、行政とは別。「国民内閣制」のような条項導入。
※remarks http://www.eda-jp.com/dpj/2001/kenpou2.html
憲法第65条は「行政権は内閣に属する」としているが、ここに言う「行政権」とは本来、例えばカナダ1867年憲法法第2章にいう「執行権」に相当するものであり、日本の行政組織法に規定される「行政」とはまったく性質の異なるものである。「執行権」とは、行政をコントロールし、政治目的に向けてそれを指揮監督する権限を指すものである。」
憲法文民統制の最たるもので「猜疑の体系」
・国家の上位に位置する国際機関に対して、主権を一部委譲するような規定が必要。