茂木健一郎『脳と創造性』発刊記念講演会@三省堂本店

茂木健一郎さんの”生講演会”に行って来た。いつもながらのせっかちで落ち着きのない、唐突な出だしの講演は、気持ちがいい。。。この人の問題意識から喋り方にいたるまで、今、”刺激と覚醒を与えてくれる人”に右に出る人を発見出来ない。。。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
いくつか、疑問を提示したいこともあったが、質問時間の空気が好ましいものではなく、辞めてしまった。ましてや、持ち込んだ著書には「書き込み」がたくさんあって、サインを求める長蛇の列に並ぶのは心苦しい。。。丁寧に頭を下げながらサインをする著者を見ていて、「クオリア日記」の読者としては、それでなくとも時間がない中で執筆・講演をつづける著者に、「サイン」という労役を強いることは、「フアンという読者」と出版社が考える「サービス」という”拷問”にも映ってしまう。。。
茂木さんの講演は、時間があれば追っかけをしたい気にいつもなるのだか、彼の講演は時間をおかず、mp3で公開してくれている。こういう姿勢は大いに支持したいし、一読者としては大いに感謝したい。http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/braincreativity20050509.MP3
今日の講演でも、また触れていた小林秀雄の肉声の講演録が、茂木さんに齎したもの=「創造表現」とその人物との乖離は、仕事柄、何度か出会った気がする。認知科学や人類学者、数学者などに適合する人物が何人かいた。。。気がする。
進化心理学は勿論のこと、脳科学でも到達できない「創造性の問題」への<解>は、講演の締めで「脳のどこをどう鍛えるか?」という文脈へと収斂していった。しかし、遇有性(contigency)に支配されるものであるとしたら、鍛錬によってもたらせられるというよりは、やはり、無意識の中に膨大に蓄積されたメモリーが、「一回性」によって憑依していくようなもののような気もする。
著書に触れられている「一回性」について、また、「オリジナルとは何か?」に関してもっと話しが聞きかかった。次回のお楽しみとしよう。。
もしゃもしゃ頭とあのせっかちな語り口の心地よさは、著書からも充分想像できて「乖離」を感じさせないという意味では、茂木健一郎もまた”天才”ではない、ということなのかも知れない。ただ、同時代に生きていることとを私は感謝したい。