川村尚敬『続・NHK問題への視点−公共放送のかたち−』

(kazumo website/ プロデューサーノートより)
http://kazumo.jp/creator/kawamura/kawamura37.htm

(承前)

現実に、日常的にわれわれが接しているNHKの制作現場でも、判断の柔軟性は失われている。7年前に、テレビ環境の拡大と変化に対応するように、国内放送基準の運用基準を示す「NHK放送ガイドライン」ができた。この小冊子も国内放送基準と同じように、現実対応の基本姿勢を示すもので、特に問題のあるものではない。しかし、そのような「基本」は、運用が重要である。「基本」は運用によって、いかようにも表現の自由を広げることが出来るが、逆にどのようにも表現の自由を縛ることもできるのである。

残念ながら、ここ7年間、「ガイドライン」の「運用」によって、表現の自由を縛る前例が積み重ねられた。いまは、とにかく、内外から何も言われないようにと前例に従って、自主規制を重ねる。これはもうテレビではない。映像や音声を駆使するテレビは、本来、「基本」がかかれている「活字」に比べはるかに表現力のあるものなのである。

昨年の秋に当社が発行したDVDの唐十郎の「秘密の花園」は82年に放送したNHKの番組である。いま、これを見て、NHKの内外に「エエッ、これが放送できたんですか!」と驚く人は多い。20年前のNHKでは、唐十郎の演劇という文化の姿を伝えるために、テレビに必要な「基準」の運用がなされていたのである。当時も今も、この番組のプロデューサーであったわたしはかつての運用が甘かった、などとは毛頭考えていない。現に、批判は全くなかったし、内部でも、当時、番組制作局長だった川口さん以下、全く問題にされることはなかった。。

今、NHKの現場は、テレビ表現の現実を知らぬ想像力の乏しい経営に、辟易しきっている。このような組織内の「現場」と「経営」の組織疲労とも言うべき不信感は、関係者が上ばかり見て、判断を先送りをしたからだ、というような末梢的な解決ではぬぐえない。
この際、NHKのような公共放送でも、経営と番組制作を抜本的に考え直すことが必要だ。一つの案としては、現状のように、大きく多様な組織を単一の経営のもとに上下で組織するのではなく、さまざまなブロックが自主性を持ちながら対峙するような組織に変えていくことが有効なのではないかと思う。

現在のような多様化の時代にあっては、かつての「番組基準」に描かれた基準は、必ず一つの結果をもたらすとは限らない。多くのテレビの放送のあり方が存在する。それを一つしか認めない、公共放送の全チャンネルが同じ「基準」でなければならぬ、と言うのは、現実を見ない妄想でしかない。視聴者の方も、今を流行りの言葉でいえば「メディア・リテラシー」に長けているのだ。

既に民間放送では、現在の状況に対応するようにメディアごとに明確な事業部制をひいて、それぞれに「基準」を置いている。海外の放送局も同じである。あのBBCですら、経営と現場は始終対立している。NHKの場合は、放送の構造の変化を無視して、権力一点集中型の組織を化粧直しでごまかしてきたツケが廻ってきているのだ。
(後略)