大澤真幸(京都大学助教授・社会学)「われわれは何も選んでいない」(朝日新聞夕刊・14面)

・・・今回の選挙の結果が示しているのは、実は、われわれは、何も選択していないということである。少なくともmust(「事実上それしかない」「そうする他ない」という選択)の水準に関わる本質的な選択はしていないのである。われわれには、そのような選択はできなかったのだ。mustに関わる新たな選択をなすということは、あるものを選択の余地のないものに見せていた「生存」の枠組みそのものを変えるということである。だが年金法に「否」を突きつけているだけのとき、われわれは、単に、この生存、この現在の生活に固執しているだけなのだ。・・多国籍軍への参加に憲法との不整合を覚える人は、少なくないはずだ。だが、それならば、今までとは違ったやり方でーー例えば日米同盟・友好関係から離れてーーわが国の安全と平和はありうるのか。このように迫られてしまうのだ。つまり、これは、まさしく、共同体の生存(存続)に関わる選択、mustの選択である。
通常の選択(oughtの水準=いくつもの可能な選択肢の中から最良を選択する)の前提をなす本質的な選択(mustの水準)へと人を誘うのは、難しい。・・・・まったく異なった枠組みのもとでも、共同体の秩序が存続しているということ、こうしたことを保障してやらなくてはならないのだ。そのために必要なのは、決定的な構想力(想像力)と結果責任への覚悟(「そんなつもりはなかった」と言わないこと)である。
だが、それらを担う者はどこにもいなかった。今回の選挙が選んだこと、それは、選択ということの拒否そのものである。