書評@朝日新聞

■”いつもそばに本が・・”中沢新一 

・・バタイユは制度になってしまった宗教というものをとことん憎んでいた人だが、私の目にはこの人ぐらい真実の宗教者と呼べる人はいないのではないかと思えた。この人は、至高なものの前で、自己愛のかけらも残さないで、「私」を壊していってしまおうとしていた。・・・

■”著者に会いたい”川村湊補陀落・観音信仰への道』
紀州熊野 那智勝浦 補陀落寺 「ウツボ舟」(渡海舟)補陀落(観音浄土)中世日本の渡海僧 洛山寺(韓国)普陀山(中国)東アジアの観音信仰の霊場 マリア観音 麻耶夫人(まやぶにん)娘々神(中国=にゃんにゃん)媽祖(台湾=まそ)ヲナリ神(琉球弧)

・・「観音菩薩とは、救いを求める民衆に合わせて変化し救済してくれるものなのです。」ところが、日本の中世の補陀落渡海は「誰かや何かのためではなく、自分のためだけに生き、自分のためだけに死ぬ」自殺行だった。キリシタン宣教師の記録では、渡海僧は観音浄土の存在を確信し、喜んで水に飛び込んだという。その「絶対的な自力による救済の世界」は、キリスト教が日本人にもたらした「自己犠牲」の精神とはまったく異なるものだった、と川村さんは話す。「この本で伝えたかったのは、イデオロギーのため、信仰のために自らの命を捨てるのはいけない、ということ。それは、現在のパレスチナイスラム自爆テロなどに対する私なりの答えでもあります」・・

池上俊一東京大学教授)リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』田村哲夫訳(Anti-intellectualism in american life) by Richard Hofstadter

・・君主制や貴族制の下で民衆を搾取する抑圧的なヨーロッパ文明を否定し、文化の存在しない高大な大地に理想郷を築こうとした移住者たちは、純粋な原始キリスト教に一足飛びに回帰する。彼らの福音主義にもとづく平等主義は、貧者の宗教を称揚する一方、学問は胡散臭い聖職者を作るだけだと忌避し、知性に不毛で危険な性格を見る。「政治」においても、ほどなく反知性主義が主流となる。知性重視は平等主義を無視する差別だとする政治風土では、知識人は政治の指導者になりえなかった。代わりに一般庶民の英知が重んじられ、無学の男、荒野の丈夫が大衆の英雄となって、大統領に選ばれる事態がしばしばおこる。・・知性とビジネスの対立の裏には奇妙な依存関係、すなわち多くの知識人が自分達の攻撃している実業家一族に養われているという、ぎこちない共生関係がある。「教育」の分野での反知性主義運動は、1830年代に兆し、1910年代に本格化する。教育といえば、公共の秩序、民主主義、経済の向上に寄与する実学のことであり、実用性に反する知性は無用の長物だった。そこから多くの教育者が、教育不可能ないし劣等者と思われている子供を中等学校の中心におき、能力のある子供たちを周辺部においやる逸脱が起きた。かように多くの領域で、反知性主義アメリカ国民に浸透してきたには、まさにそれが、この国の民主的制度や平等主義的感情に根ざしているからである。知識人にとってはつらい状況だが、その状況を正しく批判し克服するには、まさに鍛え上げた知性の力に頼るしかないだろう。・・・

中条省平学習院大学教授)エミール・ゾラ『金』

・・・金と同じ力で、愛も性欲も社会正義も向上心も人を破滅させる。・・十九や二十歳の娘が芥川賞をとったと浮かれている場合ではない。若き小説家たちよ、ゾラを読め!

種村季弘(評論家)志賀市子『中国のこっくりさん・扶鸞信仰と華人社会』

・・扶鸞信仰の源流は五世紀頃の紫姑神信仰に始まる。・・・今のところ中国政府は扶鸞結社を公認していない。それでも著者のみるところ、「少なくとも、地下に潜んでいた扶鸞信仰の水脈が、今後もあちこちで地表に顔を覗かせ」る可能性は大いにあるという。・・

津野海太郎(編集者)屋名池誠『横書き登場・日本語表記の近代』
●豊秀一(朝日新聞論説委員)村上政博『法科大学院
山田登世子(フランス文学者)ロラン・バルト『新たなほうへ・1978-1980』
堀江敏幸(作家)高橋睦郎十二夜・闇と罪の王朝文学史

(王朝社会とは)・・国を統べる者が一族支配の純度を保つために近親婚を繰り返し、そのうちの一人が頂点に立つために他の候補者を排除していった社会である。一方でそれを怖れて異族婚へと動き、「この二つの傾向の相克葛藤」を特徴としていた社会でもある。・・それにしても「闇」のなんと深く、なんと血なまぐさく、なんと豊穣なことだろう。詩人の眼は、須佐之男命に天照大御神の光から逃れた陰を読み、光源氏にその名とは裏腹な雨の夜を焼き付け、『伊勢物語』の「おとこ」からは、「王権に関わる女性を姦す」という叛乱の暗黒をひろいあげる。・・

青柳いづみこ(ピアニスト)クリストファー・ウッドワード『廃墟論』(森夏樹訳)"In Ruins" by Christpher Woodward

・・トロイから「猿の惑星」のニューヨークまで、さまざまな遺跡が登場する。ローマ南方の「失われた都市ニンファ」は、・・十四世紀後半に破壊されたが、十九世紀末にイギリス風の庭園が作られ、廃墟は花で埋めつくされた。イギリス式庭園の中にさまざまな時代の断片で摸造廃墟をつくる趣向もある。ピクチャレスクと呼ぶらしい。その大家ジョン・ソウン(1753-1837)が紹介される。田舎の家にローマの神殿を装った廃墟を出現させたり、博物館の裏庭にゴシック風の修道院を建てたり。彼が遺跡に目覚めたのは、神殿の谷で知られるシチリア島のアグリジェントへの旅がきっかけだった。「砂ぼこりの中で、きれぎれになった巨大なセロリ」のような円柱を見たソウンは、古代人と競うことの虚しさを知ったのだ。パレルモの没落貴族ランペドゥーサの話も面白い。第二次大戦で爆撃され、もはや廃墟にすぎない宮殿に住みつづけた彼は、シチリアの貴族社会を扱った小説『山猫』を書いた。『山猫』は著者の死後出版されベストセラーになり、ヴィスコンティによって映画化されている。ゲーテバイロンシェリー。遺跡を謳う文豪達の絢爛たる文章に、ギュスターヴ・ドレやピラネージ、ジョン・マーティンの幻想的な絵画が配され、廃墟好きの想像力をかきててくれる。