最終集「JAPAN」

1897(明治30)東京、京都、市川左団次 1901 神戸港 常陸山(第19代横綱)※1895 リュミエール兄弟 
ジャポニズム(japonism) アメリカ映画「ゲイシャ・ガールズ」フランス映画「ジャパニーズ・バラエティ」「大名の裏切り」※フランスには日本関連映画専門制作会社があった
1905 日露戦争 イギリス映画「遼陽の英雄」旅順 二百三高地 水師営会談(ステッセル乃木希典)※ネルーの回想「日本の勝利はわたしを熱狂させた。アジアはヨーロッパを打ち破ることが出きる。アジア人によるアジアが見えてきた」ポーツマス条約締結 日本全権団 ※ドイツ皇帝・ウィルヘルム二世の懸念「統一されたアジアのリーダーに日本がなることは危険である。最も不吉なことである」
朝鮮半島 統監府設置 初代伊藤博文総監 李恨(イ・ウン)皇太子
1909 伊藤博文ハルピン暗殺 ※暗殺直後の映像(ロシア人カメラマン)安重根、連行映像 1909/11/04 国葬 1910 韓国併合
1915 大正天皇即位 国連常任理事国 パナマ・太平洋万博(サンフランシスコ)「JAPN BEAUTIFUL」(美しい日本館)大仏、日本庭園、相撲
1917 ロシア革命 シベリア出兵 ※記者の手記「どこを見ても日本兵がいる。約束の10倍の兵力を送っていても欧米が抗議を行わないのは共産主義の拡張の防波堤と考えるからだ」韓国兵撤退後、日本兵力残留→欧米から批判
裕仁皇太子(20歳)、英国訪問 大歓迎 英ニュース「BANZAI」※記者「この訪問は日本が二度と鎖国に進まないという証左だ。裕仁明治天皇の開国の意思を踏襲している」 台湾 摂政宮裕仁歓迎準備 高砂族 日本語教育
1923/09/01 関東大震災 平静な日本人に驚嘆する欧州記者
※「カフェー文化」ブルーノ・タウト「日本文化私観」憐憫の情を掻き立てる踊り子たち
※日本公使館の溥儀・婉容 紫禁城への郷愁 満州国建国へ リットン調査団
※来日外国人 1931 リンドバーグ 1934 ベーブ・ルース 米大リーグ野球 1936 チャップリン ゴダート 1937 ヘレン・ケラー
日系人排斥 「Geisha Salmon」1936 Fortune誌「日本の産業制度は他のどの国とも似ていない」フランク・キャプラ監督「汝の敵日本を知れ」日系人強制収容 1942/03 newsweek誌「日本政府はアジア人のためのアジアを標榜している。今回の戦争を白人と有色人種の戦争とすることは日本の論理を補強してしまう。敵はドイツやイタリアでもある。日本人のみの強制隔離政策は危うい。戦争の目的は、民主主義と平等の達成でなければならない。」
1943 大東亜会議 チャンドラ・ボース ※東条英機、ジャワ訪問(日映支局制作)※ガンジーの公開状「すべての日本人へ」
1945/08/30 マッカーサー厚木入り。※同行カメラマン「全ての日本兵がわれわれに背を向けている」※ミズーリ号上の星条旗(ペリー提督が所持したもの)
1948 東京裁判 キーナン首席検事 ベン・ブレイクニー弁護人「戦争行為は合法である。原爆投下の責任は裁くのか」
1950 朝鮮戦争 警察予備隊 ※ジョージ・ケナン回想録
1951 対日講和会議 全米テレビ生中継